「生き辛さに親は関係ない」
「親のせいにしても仕方がない」
私はそれらの意見を目にするたびに「なんて、まと外れな意見なんだろう」と思います。
毒親問題で苦しんでいる最中の人に向かって、これらの意見を言う人たちには大きく分けて2つのパターンが考えられます。
- 健全な愛着スタイルをもつ両親のもとで育った人(つまり、よくわかっていない)
- 自分は毒親問題を卒業したと思っている人(毒親の事がどうでも良くなった途端、それまでの経過が不要なものと勘違いしている)
この両者は、どちらも「親を恨む気持ちを抱く『プロセス』の重要性」を理解していない人たち ですから、「全力スルー」でOKです。
(「卒業者」の方が、厄介っちゃー厄介なんですよねぇ・・・。私もそんな時期があったので、あんまり人の事は言えないのですが(^^; )
毒親育ちの生きづらさを解決するにあたり、「親にされた仕打ちは辛い出来事だった」と認識するプロセスを通るのは、とても大事なことです。
確かに「親を恨む気持ちに縛られ続けてしまう」のは、良くないかもしれません。それはそれでストレスの多い人生になってしまうでしょう。
でも、「一時的」に、「親を恨む時期」があってもいいのです。
その時期をしっかり過ごすことで、「親の呪縛を断ち切る」ことが出来るのですから。
親と心理的に離れるために、親のことを「気にしない」と思えるために、「一旦、しっかり恨む」のです。
「親を恨む気持ち」を持つことに罪悪感を感じている方は、どうか、安心して「親を恨む時期」を過ごして欲しいと思います。
「親に傷つけられた」と認識することは大切な『プロセス』
親を毒親認定することには、こんな効果が期待できます。
自分責め・自己嫌悪を軽くしていくことが出来る
親を「毒親だ」と思えるようになると、自己嫌悪を減らすことが出来ます。
「親の問題」に気づくことで、「自分の生きづらさは能力や人格的な事が原因なのではなく、育ちの傷が原因なのだ」と思えるようになるでしょう。
毒親育ちさんは、ネガティブな感情に苦しんでいますが、ネガティブな感情というのは、他人に向けられるばかりではなく、自分にも向かいます。
自分の失敗、至らなさに過剰に敏感で、自己嫌悪しますし、「自己嫌悪する自分に自己嫌悪する」という2重の苦しみにハマりがちで、どんどん悪循環になってしまいます。
「自分の親を毒親認定すること」は、この悪循環を断ち切る助けになります。
「こんな辛い過去があったら、私が人付き合いが下手なのも仕方ないよなぁ」のように、自分の苦手や至らなさを過剰に責める行為をやめる事ができるのです。
自己嫌悪は誰でもすることですし、ゼロにする必要もありませんが、その時間や程度は最小限にするに越したことはありません。
その状態を早く終わらせて、「じゃあ、その苦手をどう克服しよう、どうカバーしよう?」と考え、対策を立てることに時間を費やすことが出来れば、その分早くラクになることが出来ます。
生きづらさの傾向と対策を考えるうえで有効
自分の生き辛さをなんとかしたいと思った場合、「どうやって解決しようか?」と、対策を考えます。
対策を立てるためには、今の自分の状況を、なるべく客観的に、なるべく正確に認識する必要があります。
対策を立てる際、「自分はどうして〇〇が苦手なのか」「こんな経験があったから、私は〇〇が苦手なんだな」という事を知らななければ、ズレた努力をすることになって、燃え尽きることになりかねません。
現状を正確に認識するからこそ「じゃあ、どういう手段で苦手をフォローしつつ、前を向いていくのか?」という対策を立てられるようになるのではないでしょうか。
「生き辛さを抱えたステージに居続けるため」に親のせいにするのではなく、「前に進むため」に親のせいにするのです。
「絶対的な存在である親」と決別する
私たちは、「幸せな自立」をしていくために、「親もただの人間だ」と認識する必要があります。
そのために「親は間違った事をした」と思う経験をすることが有効です。
その経験を通して「親は絶対的な存在ではない」「親でも間違いを起こすのだ」という事を理解していくからです。
「絶対的な存在」だと思っていた親が、間違った事をする場合もある「ただの人間」であると知り、自分の道を進んでいける大人になる。
通常「反抗期」を経験することでそうなっていくのですが、毒親育ちさんは、適切な反抗期を過ごすための「安全安心な場」がありません。
そのため、本来通るべき「通常の意味での反抗期」を通過できないまま育っている場合が多いです。
毒親育ちさんが通ることが出来なかった「反抗期」で得られるものを、「親を恨む」というプロセスで取り戻していくことが出来ると私は考えます。
自分の問題と、他人の問題を区別できるようになる
また、毒親問題を抱える人たちは、さまざまな理由から「辛い・悲しい」などの感情を認識することが苦手です。
そして、「自分の問題」と「他人の問題」の線引きをすることも……。
この2つの「苦手」を克服するためにも、「親から受けた仕打ちで私は辛い思いをした」と認識することは、とても役に立ちます。
「私は悪くなかった」
「あの辛い出来事は、親の問題であって私が引き受ける事ではない」
毒親の「事情という名の問題」を引き受けがちな毒親育ちさんは、なんでも「自分のせいだ」「自分の悪い部分を改めなくては」と考える癖がついています。
そんな毒親育ちさんが「私は悪くなかったんだ」と思えるようになることは、生き辛さから自由になるために、とても大切なことです。
大切なのは「自分中心」で生きる事
この段階では「出来事の程度を他人を基準に評価する事」や、「他にも同じような経験をしている人はたくさんいる現実を考慮する事」、「親にもやむをえない事情があったのだと理解する事」はまったく意味がありません。むしろ害でしかない。
あくまでも、「自分がどう感じたか」それだけを考えればOKです。
自分がどう感じたかを大切にすることで、他人に振り回されない人生を歩むことが出来るようになります。
私も実は、周りの意見に惑わされ、混乱していた時期がありました。
でも、今、改めて強く思うのです。
私は、「プロセスの重要性」への理解がない人たちの意見を無視して「親を悪く思うプロセス」をしっかり過ごしたおかげで、親の言動に振り回されたり、自分らしさを隠して生きる人生から抜け出せたんだと。
「親を悪く思うプロセス」はあっていいんです。
「いつかは私も、親の存在がどうでも良くなる時が来る。」と、意識できていれば大丈夫です。