スピ好きな人がハマりがちな生きづらさのワナ

ちょっと前の話ですが、SNSで知人が「嫌だった出来事」を投稿していました。

なんでも「とある媒体」で知らない人から批判的なコメントが入ったそうなんです。

読めば「批判」ほどちゃんとしたレベルでもなくて、「通り魔、当たり屋」のようなコメント。「世の中ヒマなやつが多いよね~…。」と言いたくなるような内容でした。

つまり、ただの「とばっちり」

彼女は全然悪くないのです。

(その人も、指摘の内容自体はまともに受け止めていない様子でした。)

でも、彼女はそのコメントに傷ついちゃったみたいなんです。

…まあ、それは、いいんです。

どんな事で傷つくかは人によって違うし、私だってアンチコメは気分が悪いです。素直にネガティブ感情をキャッチしてるのはさすがだと思いました。

問題はここからです。
私が気になったのは、「嫌だった」に続くセリフです。

こんな嫌な出来事が私に起こった理由を考えました。

(※「きっと何かのサインだと思うから」みたいな意味)

・・・・・・・・。


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・・・・・・・・。


はい出たーーーー!!


私の拒否反応が発動しました。

私が「スピリチュアルにのめりこんでいる人とは分かり合えない」と思う理由のひとつがこれです。

「起こった出来事にイチイチ意味を持たせようとすること」

「自分に何か問題があるから嫌な事が起こるんだ思考」

「起こった出来事は全部自分のせい」

(ひとつって言いながら3つも出てきたけど。)

こういう意見を聞くたびに、「シンプルに『嫌だった』で終わったらいいんじゃないのー?」って、思ってしまうのです。

まあ、私も世間から見たら「似たようなもんじゃん」っていう仕事をしていると思います。潜在意識がどーのこーの言ってるわけだし。

でもですね。別に「乗り越えるべき課題・壁」がない人でも嫌な事のひとつやふたつ、普通に起こるでしょーよ、と思うのです。

もちろん、起こった出来事の意味を考えた方がいいケースもあるでしょう。私だって「これは何かのお知らせだな」と解釈することはあります。

でも、ただの「通り魔コメント」に、それいるかなぁ…と思ってしまいます。

ブログやSNSでお仕事をしていると、わけのわからん「輩(やから)」に絡まれることは、誰にでもふつーにあることで。認知が拡がれば拡がるほど、そういう輩とのご縁は増えてきます。

「サイン」という視点で考えるのであれば、むしろ「認知が広まったという、良いサイン」かもしれないわけで。(前後の文脈的に、その人は「良い兆候」とは捉えてない様子でした。)

それをイチイチ「自分の課題」に紐づけてしまうのは、不健康じゃないかと思うのです。

「思考」で「感情」をねじ伏せようとしているわけで、そんなことを続けていると、メンタルが病んでしまうかもしれません。

「シンプルに自分が被害を受けただけの出来事に意味を持たせる」って、やるとしたら、「解決した後」だと思うのです。


ものすごくショックな出来事があった時、何もかも終わった後で、「今回の出来事は私にとって必要な事だったんだ。」と解釈するならいいかもしれません。

私自身「あの出来事があったから、今の私がある」と思うこともあります。

とはいえ、なんでもかんでもそれをする必要はないかと。

ましてや困難に立ち向かっている真っ最中に「この出来事はあなたのために起こってるのよ」なんて誰かに言われたら、殺意…まではいきませんけど、後ろからケリとばしたいぐらいの気持ちにはなりそうです。

それと同じことを、自分にしてしまってることになります。


順番ってすごく大事。

まずは、素直に「嫌だった」という感情を受け止める。
嫌な感情から逃げない。目をそらさない。
それが、メンタルをこじらせない秘訣です。

…まあ、どっちにしても、アンチコメは華麗にスルーでOKだと思う。

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