毒親育ち、HSP、心の病、発達障害…etc。
強く当てはまる人が辛い思いをしている一方で、当てはまらない人には当てはまらない人なりの苦悩があるものです。
「あなたは〇〇です。」
そう言ってもらえたらどんなに救われるか。
今回の記事は、自分の生きづらさの原因がわからず、苦しんでいる人に向けてのメッセージです。
大好きな著者の新刊を読んで寂しさを感じた夜
先日、「発達障害グレーゾーン」に関する本を読みました。
精神科医の水島広子先生と、「ツレがうつになりまして」の著者 細川 貂々さんの共著「空気が読めなくても それでいい」です。
私は2人の大ファンです。
特に、水島先生の本には、うつ病で苦しかった時はもちろん、カウンセラーになってからも、ずっとずっと、いろんな場面で心を救われてきました。
中でもこの「それでいい」シリーズが大好きで。
今回は同シリーズの5冊目なのですが(一応「第4弾」という位置づけらしい)、このシリーズは毎回Kindle版発売当日、日付を超えた瞬間に読むくらい楽しみにしています。
(Kindle本を予約していると、発売日0時に自動ダウンロードされる)
今回も数日前から発売日を楽しみにしていて、日付が変わると同時に読み始めました。
「私には発達障害の傾向があるのでは?」と、常々考えていたので、いつも以上に楽しみにしていました。
でも…自分にはあまり当てはまらなかったのです。
最後まで読んだ結果「久しぶりの感覚」がよみがえって来ました。
「お前の問題は不可抗力ではなくただの努力不足」と言われたような感覚。
「あなたはこのグループの人間じゃないわ。あなたと一緒にしないで。」
そう言われたような寂しさ。
必死で差し出した手をはねのけられたような、そんな気持ちを思い出したのです。
(※後から分かったことなのですが、私はADHDタイプで、この本に書かれているのはASDタイプの話題が中心だったから当てはまらなかっただけなのですが)
どこにも属せない人間の孤独感
「私には強く当てはまらない。ちょっと違う。」
このたぐいの寂しさを感じるのは今回が初めてではありません。
毒親育ち、HSP、心の病など……。
色々な「生きづらさにつながる原因」がありますが、私はどれに照らし合わせてもピッタリ当てはまるものがありません。
どれも、「何項目かは当てはまってるけど、決定打に欠ける」といった感じなのです。
過食行為が辛くて自分をコントロールできない感覚におびえていた頃、摂食障害の本を読み漁りました。
本に書かれてあるほど強い症状ではなかったので医者に相談するのを諦めました。
「れいこさんの問題は大したことない。他の人はもっとひどいのよ。」
毒親問題について相談したカウンセラーにそう言われたこともあります。
生まれつきの特性でも、
トラウマでも、
病気でもないなら、
私のこの苦しさは一体何なのだろう。
やっぱり「私の場合はただの甘え」なんだろうか。
私の困りごとは「気合い、努力、根性」で乗り越えるべきなのか。
2度の治療経験がある「うつ病」ですら「自分の場合はただの甘えなのではないか」という気持ちが、ずっとついて回りました。
どこにも当てはまらない人はどうしたらいいか
どこにも属せないことで解決の糸口を見つけられず、もがき続けた私がたどり着いた結論は
「『これだ』と納得できるものを、生きづらさの原因と自分で決めてしまおう」でした。
「毒親育ち」も、「発達障害」も、その他のことにしても、一番大切な事は「自分の納得感」だと思うのです。
あらゆる診断は結局、自己理解の「ツール」であって、他人に許してもらうためのものではない。
そう思うようになったのです。
「客観性」はある程度必要かもしれません。
でも、自分で自分を許せたら他人の評価なんてどうでもいいと思うようになりました。
(※投薬治療が必要なケースは話が別なのですが……。)
だってね。
生きづらさ解消のために必要なのは「今の困りごとの対処法」であって、「原因特定」ではないんですもん。
例えば「他人と接するのが苦手」という困りごとがあったとして。
その原因が毒親に育てられたせいなのか、発達障害のせいなのか、HSPのせいなのかで大きく対処法が違うわけでもなく。
それぞれの本を読んでも似たような対処法が書かれていたりするものです。
だったら、「原因別」にものごとを考えるより「現在の困りごと別」に対処法を考えればいい。
うつ病の本も、発達障害の本も、毒親関連の本も、参考になりそうな部分だけピックアップして「あれもこれもつまみ食い」でいいと思うのです。
原因探しも悪くはないのですが「明確にわからない」のであれば、深追いする必要はありません。
問題解決に必要なのは「原因追及」ではなく「現状把握」ですから。